桜への思い

花吹雪と親鸞聖人の歌

       明日ありと 思う心のあだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは  親鸞聖人


 この歌は親鸞聖人が九歳で得度を受ける際に詠ったと伝えられています。

 親鸞聖人が、僧侶として生きることを願って比叡山の青蓮院を訪れた時は、既に夜も遅かったので、慈円僧正から「夜も遅く、疲れているだろうから、得度式は明日にしてはどうか」と促されたそうです。しかし、親鸞聖人は、命について「明日がある」と思い込むことを、いつなんどき散ってしまうかもわからない桜に譬えて、夜に嵐が吹けば、どんなに満開の桜でも散ってしまうということを歌にしたと伝わっています。だから「明日」ではなく、命ある「今」仏教のお話を聞きたいと、その夜に得度を受けさせて頂いたと伝えられています。親鸞聖人が幼少の頃は、京都では、戦乱や天災における飢饉、火災、地震が相次ぎ、人の死を目のあたりにしていました。そのような中で、親鸞聖人は美しい桜の姿を見て、『命の無常』を歌に込めたのではないでしょうか。このブログを中断して闘病生活をしてきましたが、一段と命の儚さや尊さを感じるようになりました。桜は日本人の魂とも感じる今日この頃です。


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