笠取山から流れだした水滴が、多摩湖(小河内ダム)から流れだして「多摩川」と呼ばれ、東京湾まで長い流れの旅を始めます。かつて徳川家康が江戸幕府を開いた時の人口はまだ少なく、小石川上水を建設し飲み水を賄っていました。その後、人口の増加とともに水不足になり、4代将軍家綱の時、約50km西のほうにある「多摩川」から水を引く構想が立てられ、羽村出身と言われる庄右衛門と清右衛門の兄弟が工事を請負い、約8ヶ月で四谷大木戸までの42kmに、玉川上水を作ったと言われています。この兄弟を讃えて「玉川兄弟の碑」がここ
羽村堰に建っていて、桜の名所にもなっています。(羽村市羽村堰にて)
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